丹波立杭焼 大西 誠一

ここ丹誠窯の作品は陶器の制作でよく用いられる釉薬を使っていないと拝見しました。それはどうしてですか?

サラリーマンを辞めて父の跡を継ぐ時に、父から「これからの世の中 綺麗なもんはなんぼでも出来る。江戸とか他の地域でもようさん作られるのに地方の丹波で作ってもうてもしゃーない」と言われた言葉を真に受けて自分も親父の系統を引き継いでいます。それでも若い頃は釉薬をしてみたいとも思っていましたが、やっぱりよそから釉薬を買ってくるのは大変だし、親父が三つほど窯を作ってくれてたので薪の窯で釉薬なしの焼き物にずっとこだわってているんです。

長年この丹波立杭焼に携わってきて分かる難しさというものはどんなものがありますか?

やっぱり一番は窯焼きですね、父からもよく「窯焼きは一生勉強や」と言われました。どれだけ上手いものが焼けたとしてもその次には納得のいかないものが焼けたりすることがあるんです。注文を受けたものを焼くんですが、やっぱりその焼き物の形も毎回異なってしまうので前と色々な具合が変わってしまうんですね。すると今までの感覚が相当ズレてしまう。ですがこればっかりは自然が相手なので仕方がないです。

やはり電気窯やガス窯に比べて薪の窯では相当難しいですか?

それはもう圧倒的に難しいです。電気窯なんかは温度調整をコンピューターで出来てしまうので自動的に焼くことが出来ます。登り窯は複数人でやらなければいけないので人同士で呼吸を合わせることがとても重要です。やっぱりそれはとても難しいことですが経験を重ねていくとその精度も上がっていきます。

丹波立杭焼がその他の地域で作られる陶磁器と異なる点というのはどのようなものがありますか。

土ですね。丹波にも多くの登り窯があるんですが、その登り窯っていう名前自体が各産地で一緒でも形は全然違います。それはなぜかというと各産地で使われる土が異なるので、その土にあった登り窯が作られるんです。うちは窯の高さは低いんですが備前焼なんかは人が入れるくらい高い構造になっています。


最後にご自身の今後の目標を教えて下さい。

実は私十数年前に関節リウマチを患いましてその後はワクチンや療養でまだ窯は続けられてるんですが、今年で71歳なり親父が亡くなった73歳まであと二年。なのでこれからは無理せず自分の体と相談して、五年後とかじゃなくて一年一年こなせるようにすること。だから今後の目標は体調を崩さずに出来るだけこの窯で焼き続けて、丹誠窯を存続させることです


インタビュー内容を一部改変し、簡略化させて頂いています。

丹誠窯

tansei-gama

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