べっ甲 池田 柏藻

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池田 柏藻

べっ甲

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池田 柏藻

べっ甲

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池田 柏藻

べっ甲

まずこのべっ甲に携わるようになったきっかけを教えて下さい。

私の兄がチョウガイという真珠を作る貝の彫刻をする職人だったんです、そしてこの私の住む桜井市は貝ボタンで生計を立てる人が多かった。そもそもそういった職人の多い地域ということと兄からの紹介、そして彫刻等の組合にべっ甲職人がいて、私がそこに行ったのがきっかけですね。そして十年ほど大阪の難波べっ甲の職人の下で修業して独立し、20年ほど前からデパート販売を始めました。

独立した当時と今のべっ甲の作品とでどのような違いがありますか?

技術的には透かし彫りを昔から一貫して作り続けています。でも今は正倉院に収められた品のデザインを採用したアクセサリー類も作ったりしていますよ。

べっ甲の制作で昔からずっと透かし彫りをされているということですが、機械化が進んでいるところはあるんでしょうか?

まだそういう例はないですね。ただレーザー光線で彫るという案もよそであったみたいなんですが、それをするとどうしても切った側面が焦げてしまうんですよね。機械化をして大量生産をするならそれでいいかもしれませんが、私は一品物を作りそれが欲しい人に向けて販売しています。だからこそ私は透かし彫りをずっと続けてやってきているんです。もちろん透かし彫りは手作りなので似たようなものは出来ても全く同じものは出来ません、そういった唯一無二のものを好むお客さんに買って頂けたらと思います。

べっ甲の原材料であるタイマイが1973年にワシントン条約によって輸出入禁止となりましたが、そのタイマイは現在どのようにして入手していますか?

ワシントン条約以前に輸入したタイマイだけを今でも使用しています。なので残っているタイマイを余すことなく使うために端材もしっかりと有用したりしています。実際はべっ甲自体の需要も下がり職人も減ってきているので素材の問題は特に気にしていません、ただもちろん値段は昔と比べ高騰しています。あとは沖縄の方でタイマイの養殖が進んでいて、将来国産のタイマイを使用することが出来るのでその点でもタイマイの入手はそこまで困難ではなくなっていくと思います。

べっ甲を購入する方というのはどういった方が多いんですか?

べっ甲の商品はアクセサリー類がほとんどなので購入して頂けるのは女性がほとんどです、そして年齢層が高い方ですね。ただこういった伝統産業を受け継ぐのは若者なので、私は若い方にも買って頂きたいなと思いものづくりをしています。べっ甲は軽くて落ち着いた色で女性の奥ゆかしさを引き立たせるアクセサリ―だと思っているので、その魅力をを若い方々に知って頂けたらなと思います。

お客さんは年齢層が高い方が多いということですが、そのべっ甲産業全体の需要というのは時代と共にどのように変化していきましたか?

私が20~30代の頃は作れば作るだけ売れていましたね。長崎のお土産としてよく売れていましたが、今ではその長崎でべっ甲が置かれている店は非常に少なくなりました。地元で売れなくなったので、今は長崎のべっ甲職人もデパートなどの中央で販売する人がほとんどです。

べっ甲産業全体でそのような需要の変化がある中で、近年注目を集めている後継者不足という問題はありますか?

もちろんあります。個人的に私はこのままでは日本の伝統産業が廃れてしまうんじゃないかと危惧しています。そもそも天然資源が少ない国で物を作らなくなったらそれこそ終わりだと、伝統産業に限らず物を作って海外に売ることでお金を得れるのが日本です。それを活発化させないといけないし、その日本のものづくりこそが資源だと思っています。こういった伝統産業で売られる商品の値段が上がってしまうのは仕方がないし、世間の方々にもその伝統産業をもっと応援して頂ければなと思っています。

またご自身のべっ甲においてのものづくりの姿勢というのは昔と今でどのような変化がありましたか?

今は一つ一つのものを丁寧に作っていますが、若い頃はそれこそ安いべっ甲を大量に作っていた時代もありました。ただその時期に多くの数を作り続けてた分だけべっ甲の技術も上がり、今の自分があると思っています。やっぱり一つ一つものを作るのに時間をかけていてもあんまり上達はしないんですね。精度良く物を作れるようになったのは若い頃に数をこなしたおかげなので、私はその頃の経験も非常に大切だったなと思っています。


最後にご自身の今後の目標を教えて下さい。


一つはもう70歳も過ぎてますので死ぬまでべっ甲作りを続けることですかね。どんなものが好まれて買って頂けるのかという探求心をどれくらい持ち続けられるかというのが課題でもあり目標でもあります。あとはこのべっ甲を次の世代に受け継ぎたいことですね。私が頂いた黄綬褒章や現代の名工という賞はそういった伝統産業の存続というのを前提としていて、今は私の息子がこのべっ甲を受け継いでいますがそれだけでなく、私が出来るだけものづくりを続けることでこういった取材などを受けてよりべっ甲を広く発信していくことが大事かなと思っています。


インタビュー内容を一部改変し、簡略化させて頂いています。

池田工房

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